最終日。一番晴れ渡った天気の良い日でした。リオンの空港へと向かう途中で、最新設備を持つOyonnax の工場を視察しました。
効率よく生産の出来るあらゆる機材が完備されています。Lesca Lunetier の現在生産しているモデルはこの工場と、もう一つの工場をメインとして作られています。工場の中を見渡してみると昔の工房には見られなかったコンピュータやデジタルデータをそのまま利用して作成する生産機械もありますが、昔の機械が進化発展した事が見て取れる機械も多くありました。
ジュラには歴史、技術、伝承され発展していった機材、そして人が人を育てて継承していったバトンがあります。この最新工場を見ると、それら全部の現在の形がこれなのだと思いますが、その元となる小さな工房、古い職人さん達、昔に編み出された美しい意匠のデザインなども、過去のものとして途切れては居ない事を感じます。
これからLesca Lunetier を背負って立つ若いMathieu が3月に訪れた際に話してくれました。「昔のノウハウや工法を熟知している人達、最新設備よりも素早くフレームを仕上げる事も出来る職人さん達の存在、フランスならではの感性で編み出された様々なデザインなど、ジュラの地域と、大先輩である職人や多くを知る人達から受け継いで伝えていかなければならない事が沢山あり、それをやって行きたいんだ!」と。その事をMathieu は「French Heritage(フランスの伝承)」と呼んでおり、恐らく自分の責務として考えているのだと思います。
私も始めは地域見学のつもりで3月に訪れたジュラに、これほど奥深く魅力的な世界がある事を予期して居らず、長年眼鏡の仕事に携わってきましたがここにまた新たな大きな発見がありました。
私自身も自分が運営するグローブスペックスが、日本においてこのジュラから発信されるフランスの眼鏡の伝統と美しさを伝えて行きたいと考え、10月からLesca Lunetierの日本総代理店を務めさせて頂き、ジュラの魅力をご紹介して行きます。
Lesca Lunetier が伝えるフランスの伝統的なデザインには丸い形が多く、米国や英国のビンテージに見られるデザインとはまた少し異なるフランス特有の雰囲気です。今でもベルギー、オランダ、フランスなど、ヨーロッパの中央から南辺りの眼鏡店や町中で眼鏡を掛けている人達を見ると、丸い形を掛けている方が多く、欧州のスタンダード的なスタイルである事が分かります。
その中でもジュラで生まれ、ずっと愛されているスタイルに「Crown Panto(クラウン パントゥ)」というスタイルがあります。一般的なボストン型に少し似たスタイルですが、レンズ周り上部がフラットに切り落とされている事、ブリッジ周りに他の国のデザインに見られない独特で直線的なカット見られます。丸型のソフトなイメージと、直線がもたらすシャープな印象が混じり合った形状で、クラシックであり、非常にフレンチであり、そして格好の良いスタイルです。他の国ではあまり見掛けないスタイルですが、映画監督として著名なスパイク・リーも愛用しているデザインです。Lesca Lunetier のコレクションには細身や少しボリュームのあるクラウン パントゥなど、幾つかのスタイルがありますが、これこそがLesca Lunetier の象徴的なスタイルと言えるでしょう。
10月から正規にデザイン豊富なLesca Lunetier をご紹介しますが、現在でも店頭で見られますので店舗も訪ねてみて下さい、また8月22に発売になったばかりの雑誌、「Clutchクラッチ」にもジュラ地方とLesca Lunetier の工房訪問の紹介記事が出ていますので、ぜひ見てみて下さい。クラッチの板倉さん、写真を撮って頂いた斎藤さん、大変ありがとうございました。
秋口からまた新しい眼鏡の世界を店頭でご紹介させて戴ける事が非常に楽しみです。
2日目は別の職人さんを訪ねました。この日は生憎の雨の中、また山道を走って工房へと向かいました。この工房はLesca Lunetier の中のVintage Collection(ビンテージコレクション)を管理しており、また取扱店に出荷する前にはこの職人さんが仕上げの研磨など丁寧に施した上で出荷しています。この工房には驚くほど沢山の40〜60年代のビンテージ眼鏡が保管されています。最後まで仕上げられている完成品と、部品の段階で仕上げまで行っていない半完成品とがあり、そのどちらもがこの職人さんの手でピカピカに仕上げられて命を吹き込まれます。その手はグローブの様に指先が太く、長年に渡ってしっかりと眼鏡を掴んで組み上げたり、磨き上げたりしてきた事が一目見て分かります。
この地域の職人さん達を訪ねてみて思う事は高齢な方が多いのですが、皆驚くほど元気が良くまるで子供の様に目がキラキラしている事です。昔宇宙からの不思議な力で老人達が若返るコクーンと言う映画がありました。眼鏡に携わり、皆で議論し、工夫し、作業し続けて来た事で、その人達が素晴らしい製品や歴史を作ってきたと同時に、眼鏡がそれに携わる人達を元気に生かしてきた事を強く感じます。眼鏡版のコクーンとも言える様に信じがたいほど生き生きとしていてこちらが元気を貰います。一緒に食事に行くと、一番高齢の職人さんが、我々よりもはるかによく食べ、よく喋り、一番先に食べ終えられていました。
この工房、かつて稼働していた別の工場があり、そちらはまるでつい先ほどまで工員さん達がそこで働いていたかの様に機械や工具、作りかけの眼鏡などが作業台に置いてあり、昔の工場の様子がそのまま分かる貴重な施設になっています。ここにも完成品と半完成品のビンテージ眼鏡が沢山あり、少し手を入れればそのまま日本に紹介できるデザインが多数あります。今後これらも少しずつ紹介して行けると思います。
またこの工場でかつて使われていた製造機械の一部を譲り受けて、日本の弊店内で展示し、ジュラのスピリットを感じて頂ける様にしようと考えていますのでお楽しみに。
ジュラの地域の雰囲気が伝わる様に、斎藤さんが道すがら撮られた写真を紹介します。この地域の温かみのある土地柄を感じて頂ける事と思います。
本日より3回に渉り岡田による「フランス・ジュラ地方 探訪レポート」をお送りいたします。
日本では福井県の鯖江に眼鏡の生産が集中している様に、ヨーロッパでは古くからフランスのジュラ県に眼鏡の工場や工房が多くあり、ヨーロッパのメガネ生産の中核として存在してきました。グローブスペックスでご紹介している幾つものブランドも、ジュラで眼鏡作りを行っています。
知ってはいたものの、そのジュラには行った事が無かったので、今年3月ミラノ展示会の後、初めてジュラ県の山麓に行きました。過去より海外の同業界の仲間達から様子を聞いていて、頭の中にイメージは持っていたものの実際に訪ねてみると自分の想像を遙かに超えて、奥深く魅力的な世界がありました。今後この地域に根差したLesca Lunetier (レスカ・ルネティエ)の眼鏡も紹介して行きますが、まずその背景にあるこの地域をご紹介したいと思います。
今年3月に初めてこの地域を訪れ、非常に興味深い地域であったため以前から親交のあった雑誌編集者の方に話したところ、7月に再度一緒に訪ねてみよう!と言う話になりました。この様子はエイ出版から8月22日に発売された雑誌、Clutch(クラッチ)に9ページの記事としても紹介されていますのでぜひ見てみて下さい。
このブログはクラッチの記事を担当された板倉さん、写真を担当して戴きロンドンから駆けつけて下さった斎藤さんと共に過ごした3日間の日誌形式でジュラの奥深いメガネの世界と、その地域の魅力も併せてご紹介します。パリの様な都会と異なり、料理も素朴ながら美味しいものが沢山ある場所なので。
フランスの南東の町、リヨン空港に降り立ち、食通の町として有名なリオンのレストランやワインに惹かれつつも素通りして車で2時間ほど高速を走り一気にジュラの山の中に入って行きました。初夏のジュラはカラッと晴れ渡り、湿度が少ない快適な暑さですが3月に訪れた時は雪が積もっていました。
この地域の冬は豪雪地帯で、冬場の雪の中で出来る手作業の仕事が発展していった結果、幾つかのクラフツマンシップ製品が有名になっていったそうです。同じ地域で世界的に有名になったのがパイプ作りとダイヤモンドの研磨。今ではパイプを嗜好する人の数が減ってしまいましたが、全盛期には実に世界の流通量の90%がこの地域で作られていたそうです。町の真ん中には巨大なパイプとダイヤモンドのモニュメントがあります。
この地域はSaint Claude(サン クロード)。ジュラのモノ作りは全長50キロくらいの地域に点在しており、眼鏡はジュラ内の地域によって、異なる得意分野を作ってきたようです。プラスチックバレー(プラスチック谷)と呼ばれてきたOyonnax(オヨナックス)は今でもアセテートの眼鏡の他、アクセサリーや工業製品などを得意とし、Morez(モレ)はメタルの眼鏡を主としていたそうです。
最初の職人さんの自宅兼工房にお邪魔する前に村の中にある気さくなビストロで3日間のスケジュールを打ち合わせ。3月に訪れた際に感動したこの地域の名産のチーズを振る舞ってくれました。ジュラのチーズは絶品でフランス全土のチーズコンテストで1位を取った店もこのエリアにあります。
ビストロから一路更に深い山の中へ。地元に精通している人と一緒でないと、とても辿り着けそうもない山道を奥へ奥へと入って行きます。そこにこの工房があります。以前大手のプラスチック眼鏡工場に勤務していた職人さんが、古い製造設備や様々な昔の眼鏡デザインの金型を譲り受けて、自宅の大きめの車庫内を工房にして40〜60年代くらいの眼鏡デザインを再生できる様にしています。この機械は職人さんが怪我をするリスクから、今では他には操作できる人が全く居なくなっているそうです。この職人さんの技術と膨大な種類の金型が大切に保管されている事によって、半世紀以上前のデザインを、製造も当時の製法を持って作る事が出来るのです。何百もある金型を数トンもの加重を掛ける機械にセットして、アセテートのプラスチック板を打ち抜いて眼鏡の形を製造するのです。
このガレージ、希少な昔のシトロエンの自動車、プジョーのバイク、戦時中に使われた木とウール、革で出来たオーバーブーツなど眼鏡以外に保管されているものも博物館を訪れたかの様に面白いモノがたくさん保管されています。
また眼鏡やプラスチック素材に関する様々な資料や、歴史的な眼鏡そのものも博物館の様に大量に保存されています。1904年にジュラのOyonnaxで既にセルロイドが扱われていた事を示す資料、昔の広告や販促物、昔に職人達がその腕を競って作り上げた蛇やピストルをモチーフにした眼鏡など、珍しいモノが大量にコレクションされています。この様に眼鏡の装飾や加工法が職人同士で競い合う中で、眼鏡へのラインストーンの配し方はとても進化し、今現在でも熟達したラインストーン職人が何人かこの地域に居るそうです。Lescaのコレクションにラインストーンを付ける事も出来るので、コレクションの発展が楽しみです。
職人さんのアトリエで昔の工法や機械の操作方法を見せて貰ったり、ジュラやフランスの眼鏡の歴史など教えて戴いた後、初日はジュラの中でメタル眼鏡を得意としていたMorez(モレ)に宿泊しました。Morezは町の入り口から、さっそく眼鏡のモニュメントが歓迎してくれます。町のあちこちに眼鏡をモチーフにしたストリートアートやオブジェが点在しています。
また町の中央には眼鏡の博物館もあり、ジュラ地方と眼鏡製造の発展の歴史、非常に古くからの眼鏡の展示をしてあり、眼鏡で発展してきた町らしく訪れる人を楽しませてくれると同時に、眼鏡に対してとても関心が湧いてくる施設となっています。
この日も酪農が盛んなジュラの美味しいチーズ料理とワインがフランスに居る事を堪能させてくれました。
つづく